2014年01月19日

20160302秋元

そもそもAKB48は、どのようにして誕生したのだろうか。

AKBは、アキバの略から来ていると言われており、その創業メンバーは総合プロデューサーの秋元康氏、office48代表取締役芝幸太郎氏、実質的なオーナーとされるSKS代表取締役窪田康志氏だ。中心的役割を果たしているのは、もちろん秋元康氏だ。
秋元康

秋元康氏の少年時代は、毎年クラス委員をやるほどの模範生だった。小学校1、2年まで目黒区の大橋で育ち、その後は西武池袋線の保谷に引っ越す。家庭は普通のサラリーマン家庭で、下には弟がいた。

勉強ばかりしていた秋元少年は、小学6年生の時、中野にある進学塾で有名な四谷大塚に通う。当時はまだ中学受験が盛んな時期ではなかったことを考えると、進学意識は相当高かったのだろう。そして、東大進学者が多いことで有名な開成中学を目指すことになる。その頃秋元少年は、開成中学→開成高校→東京大学法学部→大蔵省(現財務省)という典型的なエリートコースに憧れていたらしい。

四谷大塚の模擬試験では開成中学の合格圏内にいたが、運悪く開成中学受験には失敗してしまい、公立中学に入学することになった。これは、当時の秋元少年にとって相当ショッキングなことだったに違いない。秋元氏は公立の中学を卒業後、親の勧めもあって中央大学附属杉並高校に入学した。男子校で私服、その自由な雰囲気の中、高校2年の時運命的な転機が訪れる。

受験勉強の合間に聞いていたニッポン放送のラジオ番組『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』に、ラジオドラマのシナリオを書いて送ったのだ。その動機については、「自分でも書けそうな気がして」とインタビューで語っている。

そしてその投稿がキッカケとなり、高校生の身分でありながらニッポン放送に出入りするようになるのだ。このエピソードを聞いて、ある人物の名が頭に浮かんだ。それは、スティーブン・スピルバーグである。

スピルバーグは17歳の時、アリゾナからカリフォルニアに旅行し、ユニバーサル・スタジオをバスで回るツアーに参加した。そしてトイレの中に隠れてツアーを離脱し、スタジオの映像保管係と仲良くなって3日間の通行許可証を作成してもらう。そしてその3日間でいろんな人と仲良くなり、なんと顔パスでユニバーサル・スタジオで出入りできるまでになったのだ。

その後カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で映画を学びながらこの時培った人脈を活かし、ついにはユニバーサル・スタジオ内にあった掃除小屋を自分のオフィスにしてしまうのである。

いや~、この図々しさと抜け目なさこそが成功者に絶対必要な資質だ(笑)。

秋元氏もニッポン放送の社内をウロウロし、ちゃっかり亀渕昭信氏(元代表取締役)と仲良くなる。そして当時『ザ・ベストテン』の立ち上げを担当していた奥山氏にも食い込み、テレビにもつながっていくのだ。

◆ソロデビュー記念対談 高橋みなみ×秋元 康 ~2ndシングル 作詞会議

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