2021年05月16日

電通吉田秀雄

昔から推理小説が大好きで、小学生の頃は当時ポプラ社から出ていた江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズに熱中した。またコナンドイルのシャーロックホームズシリーズにも対象は広がっていった。

中学生になると、世の中の疑惑や未解決事件、またそれを追いかける刑事や記者と犯人の攻防を描く作品に足して興味が湧いてきた。中学2年生の時に読んだ、元ロイター記者の作家フレデリック・フォーサイスの『オデッサ・ファイル』には衝撃を受けた。大戦終戦時ナチスの幹部の南米逃亡を手助ける組織が存在し、その組織は今なおドイツ社会の様々な分野で影響力があるというストーリーだった記憶がある。フレデリック・フォーサイスには『ジャッカルの日』という更に有名な作品があり、当然その後に購入して読んだ。

同時期に、熱中し始めたのが、松本清張の作品だ。自宅の父親の本棚にあったことがキッカケで、『点と線』や『砂の器』など有名作品を片っ端から読んでいった。特に『ゼロの焦点』は、戦後立川の米空軍基地の売春婦から身を起こした女性が過去を知っている人物を殺していくストーリーに、名作『人間の証明』にも通じる戦後の闇と哀しさを感じた。

そんな大好きな松本清張氏の半生を非常にわかりやすく描いていたコンテンツを、Youtubeで発見した。1995年5月28日に放送された『知ってるつもり 松本清張』だ。

日本を代表する大作家である松本清張氏のことを、ここで改めて説明するつもりはない。ただこの番組内で紹介される北九州小倉での貧困時代のエピソードの数々、朝日新聞広告部の版下担当時代の学歴がないことによる差別と屈辱、47歳という遅いデビューと作家として成功した後も「時間がない」を口癖に精力的に取材&執筆する姿は、脳裏に焼き付いて今だに離れない。晩年ほとんど片目が失明状態だったにも関わらず原稿用紙に向かった姿勢には、鬼気迫るものがある。

知ってるつもりの松本清張

人気番組『知ってるつもり』で放送された松本清張特集

本日、たまたま電通吉田秀雄の甥っ子さんである白石さんと電話し、白石さんも目の具合が悪いとのことで松本清張氏のエピソードを伝えたら、世の中にほとんど知られていない驚愕するエピソードが出てきた。

白石さんがまだ早稲田大学の学生だった頃、東京の吉田秀雄邸に住んでいたことがあった。以前私がお聞きしていたのは、白石さんが吉田秀雄氏所有の高価な骨とう品を悪友と現金に変えようと骨とう品屋に持ち込んだことがバレて、警官が乗り込んできたという爆笑エピソードだった。

それとは別に、当時の吉田秀雄邸に松本清張氏が来訪し、直接話したことがあるというものだった。実は、その背景が非常に興味深い。ご存知の通り、吉田秀雄氏は現在の電通の礎を作り、広告の近代化を推し進めた人物である。

その吉田秀雄氏は、日本で初めてのラジオ局の創立に東奔西走し、自分の家財を投げうって資金を用意したことは意外と知られていない。しかも当時の日本はまだ敗戦を引きずっており、ラジオ局の重要性を理解する者はほとんどいなかった。財界の主要メンバーでさえ、資金供出のお願いに対しては無視に近い反応だったという。その孤立無援の状況で、吉田氏は何とか日本初のラジオ局設立を実現した。

その後日本は、朝鮮戦争の特需も追い風になり、急激な経済発展を遂げる。吉田秀雄氏は家財を投げうったことから、電通の大部分の下部を所有していた。当時の役員報酬よりも、株の配当の方がよほど多かった。

電通内での絶対的な権力者であると同時に、吉田秀雄氏はこれからのメディアビジネスに必要な優秀な人材採用と原作発掘にも慧眼があった。

前者においてはよく知られているように、当時のエリートで公職追放を受けて社会から隔離され自宅でくすぶっていた旧満鉄関係者や元特務機関員に給料を与えて囲い込み、将来の広告マン予備軍として早稲田大学の広告関係のゼミに援助を行っていた。

また政界においても、当時吉田茂の門下生として注目を浴びていた大蔵省出身の池田勇人氏に「お前は外ずらが悪いから、せめてスーツはお洒落にしろ」(笑)と銀座の名門仕立て屋製の背広を送り、また毎月当時のお金で400万円もの資金援助をしていた。また池田勇人のライバルにもなる「佐藤栄作を首相にする会」の会長も務めている。

そんな吉田秀雄氏が、自分と同じ北九州小倉出身の松本清張氏に目をかけ、作家としてデビューする前から電通の社外取締役として給料を与えていたとのこと。吉田秀雄氏は、「優れた原作なしに、優れた映画、ドラマはできない」という本質を見抜いていた。

そういった経緯があり、松本清張氏は吉田秀雄氏に非常に感謝し、松本清張作品の映像化の権利は全て電通に預けた。こういった歴史的事実は、ほとんど知られていない。

昨今の「電通鬼十則」及び電通のハードワーク風土への批判とは別に、こういった事実を次世代に継承していくのも大切だと思い、電話を切った後の1時間で急いで書き上げた。