2014年03月23日

20160226ファーガソン2

20140322代6
アレックス・ファーガソンの後を引き継いだモイーズ監督。イギリスの名門チームを引き継いだ元エバートンの監督モイーズは、チームの成績に苦しんでいる。

前任者が偉大であればあるほど、後継者が大きなプレッシャーに苦しむのは世の中の企業でもよくあることだ。特に前任者が築き上げたスタイルや人をどう扱い、より高いレベルに導いていくか。それは、簡単なことではない。

ヒントの一つは、前任者の偉大な業績の歴史を謙虚に学び、現在の業績につながる導線を発見することだ。ファーガソンも最初から偉大ではなかった。この特集記事は、非常に興味深いファーガソンの軌跡と洞察が満載だ。

マンチェスター・ユナイテッドの監督をついに引退 名将が7年前に語ったサッカー、監督業、メディアそして引き際

どうすれば、アレックス・ファーガソンにインタビューすることができるだろうか―ずっとそう思い続けていた私にチャンスがやって来たのは、2012年3月のことだった。

ある金曜の早朝に、マンチェスター郊外のキャリントンにあるマンチェスター・ユナイテッド(マンU)の練習場に来るようにと指示された。この男の朝は早い。何しろ、6時間続けて寝ることはめったにないのだ。

最近のファーガソンは、記者との1対1の取材にほとんど応じない。単独インタビューができるのは栄誉だが、プレッシャーも大きかった。「絶対にヘマはするなよ」と、私は自分に言い聞かせた。

言われたとおり朝早く練習場に着くと、選于の車はまだ1台も止まっていなかった。広報担当(当時)のダイアナ・ローが待っていて、インタビューを行う部屋に通された。

あのアレックス・ファーガソンが部屋に入ってきた。ジムでエクササイズを済ませたばかりとのことで、元気いっぱい。満面の笑みだった。

私が「貢ぎ物」に持ってきたブルゴーニュワイン「ジュブレ・シャンベルタン・プルミエクリュ」のボトルに早々目を留めたからなのかもしれない。あるいは、単にサッカーを語るのが好きなのかもしれない。

いずれにせよ、彼は1時間近くインタビューに応じ、腕時計に目をやることは一度もなかった。愛想よく、サービス精神たっぷりに質問に答えてくれた。

―世界一有名なクラブチームで監督を務めるのは、相当なプレッシャーだろう。どうして、それに対処できているのか。

(とても長い間)ここで監督をしているおかげなのかもしれない。最初は今ほど大きなクラブではなかったから、時間をかけていろいろなことを学べた。

―潜水艦の乗組員が艦内を狭い部屋に仕切り、厚い扉で封鎖するみたいに(ここでファーガソンが笑う)……人生を局面ごとに区分して、それぞれを独立させているようにも見えるが。

私が生き延びてこられたのは、いわば無の境地になることができるからだ。あらゆる物事を受け流し、誰に何を言われても気にならない心理状態に自分を置ける。考える時間を確保するには、それが欠かせない。

今日もそうだった。朝5時にここに来て、ジムで45分間汗を流す。そして頭をすっきりさせ、サッカーモードに入ってスタッフとのミーティングに入った。

普通だと、今頃の時間はスタッフと一緒にいる。でも今日は試合も練習もないから、朝はサッカー以外の面会を済ませることにした。それが終われば、サッカーに集中する。いつもそうやってきた。ほかの用事をまとめて片付け、その後はサッカーのことだけを考える。

サッカーのクラブには、トップチームに加え、ユースチームも下部チームもある。それぞれに、いつも対処しなくてはならない問題がある。私はそのすべてを、直接取り仕切ってきた。

でも最近は、人に仕事を任せることも覚えた。私くらいの年齢になると、すべて自分でやるのは無理だから。ここにはとても優れたスタッフがいるので、私は全体を監督するだけでいい。

仕事を任せることで、1人でものを考える時間が取れるのが大きい。時々、その日の仕事をすべて終え、午後にオフィスで1人になり、窓の外を眺めて考え事をする。素晴らしいひと時だ。1時間の間、誰も部屋に入ってこない。私か忙しいと思い込んでいるから(笑)。

―目の前の試合のことだけを考えられるときはあるのか?

う-ん(長い沈黙)……それはなかなか難しい。メディアの影響が大きい。私が思うに、メディアは試合には本当のところ関心がない。試合そのものより、試合の外のこと―勝敗に対する監督のコメントや選手の人となりに関心がある。

その点は少し残念だ。試合について語るほうがずっと面白い場合もあるのに……対戦チームの監督が私のオフィスに寄り、2人で一杯やりながら、理性的に試合を振り返る―I最高に楽しいだろうと思う。でも、そんなことはめったにない。

―いつの時点で監督になりたいと思うようになったのか?

20140322代7

フルタイムのプロサッカー選手になったときから、将来は監督になろうと決めていた。最初は、タイプライター工場で工員の見習いをしていた。21歳で見習いを終えて働き始め、1年たったとき、専業のプロサッカー選手になるチャンスが訪れた。

22歳のときだった。私はサッカーに専念しようと心を決めた。そこで、その翌年にはサッカー指導者のB級ライセンスを、24歳のときにはA級ライセンスを取得した。それ以降、初めて監督になるまで毎年、夏の指導者セミナーに参加していた。

―現役時代から既に、監督のように戦術を意識しながらプレーしていた?

そう、そうだった。いつも黒板の前で戦術の話をしていたと、背のチームメイトに言われることがある。当然、みんなは退屈していた……「ずいぶんうっとうしい奴だな」とね(笑)。私がそういうことをしていたのは、ずっとサッカーの仕事をしていきたいと思っていたからだ。

いつも頭の中で、「私ならこうする」と考えたり、「同じ局面に遭遇したら、自分も同じ失敗を犯すのか? トレーニングや試合の準備に関して違う方針を取るのか?」と自問していた。

1つ例を挙げよう。32歳のとき、(スコットランド4部の)イースト・スターリングシャーというクラブの監督に就任した。1974年のことだ。最初、選手は8人しかいなかった。ゴールキーパーもいない。そこで、ほかのクラブで自由契約になった選手に声を掛けて、13~14人のチームをつくった。

20140322代8

シーズンの滑り出しは上々だった。数週間後、私はみんなに言った。「今度の土曜に、ホテルでランチを食べよう」。選手たちはぎょっとした顔をし、そんな金はないと言う。こちらのおごりだと、私は言った。

前日の朝、私はホテルに行き、希望のメニューをスタッフに伝えた。グリルしたカレイに、ハチミツつきのトースト。スタッフは唖然として問い返した。「えっ? ポテトやスープは?」

私は言った。「要らない。グリルしたカレイ、バターはなし。オイルは少しなら使っていい。あとはハチミツ、トースト、紅茶、そして水」

当日、ホテルに集まってきた選手たちは目を疑った……なんだこりゃ、とね(笑)。私は言った。「それを食べなさい。どうせ、朝は揚げ物を食べたんだろう。私は現役時代、こういう食事をしていたんだ」

時代が変わるにつれ、試合前日にはオートミールを食べるのが一般的になり、やがてはパスタを食べたりするようになった。しかし私は74年当時、既にそういうことを考えていた。

(スコットランド1部の)アバディーンの監督になったときも、同じ方針を取った。当時、選手たちは試合前に牛ヒレのステーキを食べていた。問題は、消化に2時間かかることだ。

そこで、私はそれをやめさせた。みんな不満たらたらだった。ヒレステーキが嫌いな人なんていない。でも、そういう発想が必要だった。こういう具合に、私は24歳のときからずっと監督的な発想をしていた。

―理想のチーム像は最初からあった?それは途中で変化したりしたか?

どのチームでも、ボールを支配することが大切だと思っていた。イースト・スターリングシャーではこの点に集中した。正直言って選手のレベルは低かったが、本当に頑張ってくれた。彼らはパートタイムの選手で、1週間に3日しか使えなかった。

シーズン前に(イングランド3部の)トランメア・ローバーズと対戦して、2-0でやられたときのこと。監督のロン・イェーツが試合後に言うんだ。「忠告してやろう。(組織的な)スタイルにこだわり過ぎている」と。「それが悪いことなら上等さ」と答えてやったよ。

ボールを支配することは、常に重視してきた。他人の物を奪いたくなるのが人間だと、選手には言い聞かせる。相手はいら立つと冷静さを失う。1人がボールを奪いに来るときは、残り9人も相手にすることになる。これが若き監督時代の私の理論だ。今は少し変わったが。

―変わったのはカントナやギグス、クリスティアーノ・ロナウドなどの超一流選手を使いこなす必要に迫られて?

ホビー・チャールトンやジョージ・ベストなどがいるチームを率いると、彼らに個性を発揮させなければならないことが分かってくる。それが(監督としての)進化だ。ピーター・ウェアやゴードン・ストラカンといった最高の選手がいたアバディーン時代も同じだった。

監督にとって、ギグスのような選手は天からの贈り物だ。彼は16歳でプロデビューして、ずっと(今季で23年間)同じチームでプレーしてるんだよ!非凡な選手でなければそんなことはできない。もちろん不調なときもあるが、キャリア全体を考えれば驚くべきことだ。

監督は、選手に自己表現させなければならない。カントナからカントナらしさを奪っていたら、あんな偉人な選手にはならなかっただろう。ここは、彼にとって完璧なクラブだったと思う。胸を突き出して、「俺だ、俺だ。キングだぞ」と叫ぶことができるクラブだったんだから。

―そういう選手が好き?

そのとおり!自信があるならやってやれってことだ。ロナウドの場合も同じ。どんなときも、彼の戦意をくじいてはいけない。なぜなら彼は最高の選手だからだ。

99年のチームを作り上げる過程では、ドワイト・ヨークを欲しいと思った。イングランドでプレーする選手で唯一、敵陣で相手を翻弄できるセンターフォワードだった。

私はどのチームでも選手それぞれの資質を考え、教え方を工夫してきた。複雑でないほうが力が出せる選手には、シンプルなゲームをやれと言う。一方でゲームを違うレベルに持っていける選手がいる。私には予測できないレベルだ。監督には分からなくても本人には分かっている。ロナウド、スコールズ、カントナ、ギグス。彼らはゲームに対する並外れた想像力がある。

ギグスは素晴らしい身体能力の持ち主だ。彼は相手の反則でペナルティーキックを取ったことがないんだよ!倒れないからだ。体当たりされてよろめいても、体勢を立て直して進んでいく。信じられないよ!

―選手をバランスよく扱ったことが、アバディーン時代に成功を収めた秘訣なのか。

確かに私が最高の成績を挙げた時期だと、大半の人間は言う。だが(私への)期待が大きくなり過ぎたせいで、アバディーンを去ることになってしまった。素晴らしいチームだったから残念だ。あのチームを作り上げられたのは幸運だった。アバディーンのような弱小チームが成功すると、選手はたいていあっという間に移籍してしまう。

それでも私は4~5年、なんとかチームを維持した。84年にストラカンと(マーク・) マクギー、ダグ・ルグビーが去るまでは。クラブは常に黒字だった。マークとダグが高い報酬を要求してきたが、彼らに破格の条件を認めるには、アバディーン自体が一段上のビッグクラブになることを目指す必要があった。

彼らは去った。いま思えば、彼らを引き止めて翌年のヨーロピアン・カップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)決勝に進むべきだった。私たちは準々決勝で(スウェーデンの)IFKヨーテボリに、終了直前のゴールで負けた。そのヨーテボリはバルセロナに破れた。決勝はバルセロナと(ステアウア・)ブカレスト。私たちには決勝まで行ける実力があったと思う。それでもあれだけチームを維持したんだから、大したものじやないかな。

―成功は継続によってなし遂げられると……。

ああそうだ。しかし未来に目を向けないと危険だ。小さな変化を積み上げてこそ前進できる。

―今や世界各国から選手が集まっているが、あなたの初期のチームの中心選手はイギリス人だった。イングランドやスコットランドの選手のレベルが落ちたのか、それとも単にサッカーのグローバル化が進んだのか。

20140322代9

(マンUのホームスタジアムである)オールド・トラフォードの近くで生まれた選手を集めても、チームにならない。地元の選手だけでは、ヨーロッパでは勝てない。ネビル、バット、スコールズ、ギグスはイギリス人だが、彼らが集まったのは例外で、一生に一度起こるか起こらないかの現象だろう。だから、ヨーロッパ中の若い選手に目を向けた。マンUには、まだ選手を発掘して育てる力があるのを見せたかったからだ。

―あなたは、常に勝利を期待されている。シーズンが不調に終わったら引退するという声もある。腹が立たないか。

新聞は読まない。私が知っておくべきことがあれば、(広報の)ダイアナが教えてくれる。ばかげた記事…まあしょっちゅうだが、捨て置けない記事がある時は教えてもらう。

―現在のサッカー界に、若き日のアレックス・ファーガソンが現れたとしたら、あなたと同じキャリアが築けるだろうか。

難しいだろうな。今は期待の度合いが半端じゃない。毎年優勝するなんて考えられない。チームの最高の状態が続くのは7年までだと誰かが言っていた。そう、そこで終わるんだ。でも私たちは毎年優勝を争っている。立派なことじゃないか。

チームが勝てなくなったら私はやめるとメディアは書き立てる。年寄りだし、心臓も悪いから、と。だから来シーズンも続けていたら、私はきっとたぐいまれなる天才だな!何事をバランスを保ち、余裕を持つことだ。アレックス・ファーガソンは常に自分自身を冷静に見詰め、現実的でないといけないんだ。