2014年03月22日

20160226ファーガソン

20140322マンチェスターユナイテッド ファーガソン監督 リーダー論1

欧州チャンピオンズリーグが、騒がしくなってきた。日本の香川が所属するマンチェスター・ユナイテッドは、ホームのオールド・トラフォードで、ギリシャリーグの王者オリンピアコスを3-0で下した。

ファンベルシーのハットトリックで何とかベスト8に進出できたものの、その試合内容はゲームの主導権を握っていたとは決して言えない内容だった。ただ窮地に追い込まれても、そのプレッシャーに負けず、勝利をもぎとるマンUのタフさを久しぶりに見た気がする。よく「勝者のメンタリティ」と表現されるこの資質は、経験と伝統の尊さを感じさせる。

そんなマンUの強さは、スコットランド出身の一人の男が長い時間をかけて育て上げたものだ。そのアレックス・ファーガソンについての興味深い記事を、以前購入したニューズ・ウィーク日本版2013年6月4日号に発見。改めて、そのマネジメント手法を考察したい。

THE FATHER AND THE BUS
マンUの名将が導き出した勝利の方程式

20140322マンチェスターユナイテッド ファーガソン監督 リーダー論2

マンUを四半世紀以上にわたって率い常勝チームに育て上げたファーガソン監督
彼の指導のキーワードは「父親」と「バス」だった

アレックス・ファーガソンが71歳で勇退すると分かったとき、英大衆紙で最大発行部数を誇るサンはフックにつるされた赤いヘアドライヤーの写真を1面に掲げた。

これだけで読者には十分に意味が伝わった。ファーガソンが26年半率いたマンチェスター・ユナイテッド(マンU)のニックネームは「ザ・レッズ」。ドライヤーは、彼が選手を怒鳴るときに使うテクニックだ。顔をものすごく近づけて怒鳴るので、選手の髪がふわふわ揺れる。

20140322マンチェスターユナイテッド ファーガソン監督 リーダー論3

マンUのフォワード、ナニが説明してくれた。「みんなの前で怒鳴るんだ。ライアン・ギグスとかガリー・ネビルみたいなベテランが一番の被害者。あっちで『フ**ク』、こっちで『フ**ク』 って聞こえる」

しかしサッカーの歴史で最も成功した監督―何しろ欧州チャンピオンズリーグ(CL)で2度の優勝を含む38個のトロフィーを獲得した―を、ヘアドライヤーに例えて終わらせるのはもったいない。どんな分野であれ、マネジメントに携わる人ならファーガソンに学べることがある。人をどう動かすか、成功をどう維持するか、ストレスとどう向き合うか。そのときファーガソンを理解するキーワードは、ヘアドライヤーではない。「父親」あるいは「バス」だ。

ファーガソンの選手との接し方は監督というより、厳しいけれど愛情深い父親のようだった。選手との世代間ギャップが年を追うごとに広がっても、問題にならなかったのはそのためだ。

マンUのゴールを長く守ったGKエドウィン・ファンデルサールは、ファーガソンの温かさをこう語っている。

「どんな話でもできた。いつだったか僕が練習しているゴールの所に来て、彼の孫が僕の息子とクリスマスのコンサートで一緒に演れてよかったと話し始めた。僕は『そうですか』とかいいまがらシュートを防ぐんだけど、あの人はずっと話し続けるんだ」

デービッド・ベッカムもファーガソンを「父親代わり」と呼んだ(口を開かないほうが絵になるベッカムにしては、最高に文学的な表現だ)。

20140322代10
ファーガソンはどんなスター選手でも、我儘は許さない。ベッカムがロッカールームで反抗した時、ファーガソンはベッカムにスパイクを投げつけたという。

父親が不在がちだったギグスは13歳でファーガソンに身を預け、39歳になる今まで彼の下でプレーした。

他の有名クラブは選手の出入りが激しく、まるで空港の乗り換えロビーのようだが、マンUにはイングランド北部の労働者階級の家庭のような温かさがある(みんな億万長者だが)。

ファーガソンに付いてきた選手は、素直な「息子」たちだった。彼らは監督を「ボス」と呼んだ。3ゴールを決めた選手でも試合後はさっと着替え、バスに乗る。

◆絶え間なき「カイゼン」

ファーガソンは、よくチームをバスに例えた。選手は乗ってもいいし、降りてもいい。ただし優れた選手でもだらしないプレーをすれば、バスを降ろされる。

これが、ファーガソンの理念だ。彼は、チームを絶え間なく向上させようとした。ここには日本企業が第二次夫戦後に実践し、世界に波及した「カイゼン(業務改善)」に通じるものがある。

ファーガソンは偉人なチームをつくり、数年たつと「カイゼン」のために壊した。95年には彼が率いた最初の偉大なチームの主要選手を放出し、ベッカムやギグスを中心とする次のチームをつくった。みんな20歳になるかならないかという世代だから危険な賭けだったが、結局うまくいった。ベッカム世代のチームは99年、CL、プレミア、FAカップの3冠を達成した。

しかし03年になると、ファーガソンはベッカムをスペインのレアル・マドリードに放出し、代わりにポルトガル出身のクリスティアーノ・ロナウドを獲得した。ひ弱な感じが残る10代のロナウドの移籍金は1220万ポンド(当時のレートで約23億円)で、ベッカム放出で得た金の半分ほどをつぎ込んだ。これも危険な賭けだったが、ロナウドはファーガソン率いる第3世代のチームの核となり、08年に2度目のCL優勝をもたらした。

ファーガソンは選手を向上させるため、彼らの目標を上げ続けた。ある時期には「リーグで4回優勝すれば本当のマンUの選手になれる」と言っていた。この目標はやがて4回から6回に上がった。リーグ優勝を6回経験した選手など、イギリスには数えるほどしかいない。

ファーガソンの「パス」も長く乗っていた選手は、正しい節制と食事の習慣を身に付けた。ファーガソンが選手に「酒を飲むな」と言ったことは、きっとなかっただろう。酒を飲めば、「バス」を降りざるを得ないことは選手のほうが知っていた。

◆勝てるけんかしかしない

20140322代4

ファーガソンが規律とサッカーの楽しさを伝えたおかげで、多くの選手が現役を長く続けた。今季限りで退くのはファーガソンだけではない。ベッカムとポール・スコールズは共に38歳で引退する。ファンデルサールは40歳までGKを務めた。ギグスは40歳で来季のリーグ優勝を勝ち取るかもしれない。選手寿命が30歳そこそこまでと考えられているスポーツでの話だ。

ファーガソンは選手だけでなく、自分も向上させた。トロフィーはたくさん獲得したが、自分がサッカーを分かっているという幻想は持たなかった。

本拠地オールド・トラフォードでヨーロッパの他のクラブと戦うとき、ファーガソンは相手の監督をオフィスに招いてスコッチを振る舞った。目的は相手の頭の中を知ることだった。

進化は、自分のためでもあった。年を重ねても、トップの座を維持するには学び続けるしかない。ファーガソンは「最近の若い連中」のことを嘆いたり、昔を懐かしんだりしなかった。彼は未来を生きていた。

 「マネジメントはコントロールだ」と、ファーガソンは言った。彼はすべてをコントロールしたがるが、コントロールできない状況はすぐに悟った。

例えば3年前、チーム最高の選手だったウェイン・ルーニーが移籍の意思をほのめかしたときだ。ファーガソンは彼を、親の恩を忘れた子供のように扱った。「私たちは彼をずっと守ってきた。私生活などについても、どれだけ助けたか分からない」

この言葉は、ルーニーに響かなかった。しかしマンUにとって、ルーニーは一番いなくなっては困る選手だった。ファーガソンは、ルーニー側の求める年俸大幅アップの要求に応じた。

クラブのオーナーであるアメリカのグレーザー家も、コントロールできない勢力だった。グレーザー家にとってマンUは、金を生む装置でしかなかった。05年に借金をしてまでマンU株の多くを買って以降、グレーザー家はクラブから5億ポンド以上を引き出して負債返済に允てた。

これに、ファーガソンが腹を立てないはずはなかった。グレーザー家がその金をクラブに投じていたら、もっと多くのトロフィーを手にできたかもしれない。

だがそれは、ファーガソンがどうにかできる話ではない。彼は状況を受け入れた。ファーガソンは、勝てるけんかしかしない。

ここまで書いたことは、一般人には大変なストレスになることばかりだ。60歳を超えてサッカーの監督を務めた人物は少ないし、ファーガソンのように70歳を超えた人はさらに少ない。

◆独特のストレス対処法

ファーガソンがマンUの監督として1000試合を迎えたとき(彼はちょうど1500試合で勇退した)、いまヨーロッパを代表する監督の1人であるポルトガル人のジョゼ・モウリーニョは言った。「同じチームで1000試合なんて素晴らしいし、驚くよ。でも私なら、1000試合なんてごめんだ。55歳になったら、アルグレーブ(ポルトガルのリソート地)に引っ込むね」

20140322代5

そう言われてもファーガソンは歩み続け、サッカー界で働いた年月は誰よりも長くなった。1つには、彼がストレスに対処する方法を知っていたからだ。

ファーガソンの友人でトニー・ブレア元英首相の側近だったアラステア・キャンベルに、こんな話を聞いた。97年の総選挙が迫った頃、キャンベルはストレスをため込んでいた。ブレアの勝利は確実視されており、周囲は未来の首相にはじかに陳情を持ち込まず、側近のキャンベルのもとに殺到し始めた。

キャンベルはファーガソンに電話でぽやいた。「どうにもプレッシャーがきつくてね」。ファーガソンは「心の中で自分に目隠しをすればいい」と言った。「誰と話をするかを決めるのは自分だよ」。陳情に来る相手にはこう言えと、ファーガソンは助言した。「ご自分たちで解決できると思いますよ」

ファーガソンには、今後もマネジメントについてアドバイスを続けてほしい。もっとも彼が、のんびりした引退生活を送るなんて想像できないのだが。