2018年06月02日

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本日、白石さんと電話で1時間ほど話をした。白石さんとの出会いは私が全国の1800の会計事務所を束ねるマーケティング会社の三代目代表をさせて頂いていた2008年、顧問の紹介でお会いしたのがキッカケだ。私は新卒時にリクルートと博報堂に内定を頂き、リクルートに入社を決めた。この時の判断は、今でも正しかったと確信している。ただ落ちたものの、広告業界1位の電通も受けていた。当然OB訪問もし、電通社員の人間力とオーラを肌で感じていた。また当時1984年発行の田原総一朗の『電通』も読み、当時“築地CIA”と揶揄されていたその巨大な影響力に興味を持っていた。

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▲この本は当時の電通の世間での見方をよく表している

今でも忘れられない思い出がある。学生時代アルバイトしていた銀座歌舞伎座裏にあるマガジンハウスの社員の方に連れて行って頂いた料理屋のカウンターに、葉加瀬太郎のような爆発ヘアスタイルのでっぷり太った人間が座っていた。「○○さん、お久しぶりです!」マガジンハウスの社員さんは、その人物に軽く挨拶をした。「例の○○の件は、○○さんに話を通しておきますから。でもあれは○○ですね」一人でカウンターに座るそのでっぷり男はモテるオーラはゼロだったが、その話し方にはかなりのインテリジェンスを感じさせた。大学教授のようなその深みが、当時大学生だった私にはとても印象的だった。後でそのカウンターの人物は、電通でもやり手の人物だと知った。

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▲学生時代、2年半アルバイトしたマガジンハウス。当時「バカヤロー!」とフロアで叫んでいた母校アメフト出身のIさんは代表取締役会長に大出世

広告代理店というと、日に焼けたイケメンがダブルのスーツを着込んでクライアントには滅私奉公に尽くし、数字を取るためにはあらゆる荒技を使うイメージがある。そういった部分は広告代理業が究極のサービスの一つである以上普遍的なものかも知れないが、電通にはその強力な体育会組織力以外の強さも感じる。戦後優秀な人材を獲得するために旧満鉄エリート(※当時の南満州鉄道株式会社は、約80の関連会社を持つ巨大企業。岸信介が革新官僚として乗り込み、戦後の高度成長のベースとなる経済のグランドデザインをつくった)及び旧特務機関員をリクルートしたのは有名なエピソードだが、そういったDNAは今も生き続けているだろう。

その電通の基礎を作った吉田秀雄の妹の息子、つまり甥っ子の白石さんには表に出ていない吉田秀雄のエピソードをたくさん聞かせて頂いている。例えば吉永小百合さんの父親は東大で吉田秀雄の同級生で、事業に失敗し倒産した時、吉永小百合に日活入りに尽力した。また読売新聞の渡邉恒雄氏も吉田秀雄にお世話になった。「24時間戦えますか」のCMで有名なリゲインの三共製薬は、業績悪化で広告料金が支払えなくなった時、吉田秀雄の救済を受けた。当時の第一線の企業、人物は、おそらく直接間接的に何らかの関わりがあったであろう。ちなみに上記の会計事務所マーケティング企業代表時代、白石さんには自社発行のフリーペーパーに出て頂き、そういったエピソードもお話頂いた。以下、一部紹介したい。

白石氏が早稲田の3年生の時、吉田秀雄氏は突如癌で入院する。

「夜の看護で東大病院の畳の上に、寝泊りしていました。そんなある日叔父に呼ばれて、“お前は将来、何になるんだ?”と。広告業界に進みたいと答えると、“オレのカバン持ちを、2、3年やれ”と言われました。当時の電通は吉田自身が親族は入れないという規則を作っていたので、入れなかったんです。

叔父は当時、“佐藤栄作を首相にする会”の会長もやっていました。東大の後輩でもある佐藤栄作さんは当時大蔵大臣で、お洒落でダンディでしたね。叔父は私を政治家にしたかったようです。

また、こんなエピソードもあります。大蔵大臣だった池田勇人さんが病院にお見舞いに来た時、“お前は見立てが悪いから、衣装だけでも立派にしろ”と、銀座の一流の仕立て屋で、10着ほど作らせたそうです。当然、支払いは叔父持ちです。その後テレビで見た池田さんは、颯爽としていました(笑)。そんなエピソードにも、叔父の広告人として生きた片鱗を感じますね」

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▲当時のフリーペーパーに出て頂いた白石さんのインタビュー記事。インタビューと執筆、撮影は私が担当した

白石さんは中学時代に母親(吉田秀雄の妹)を亡くし、その分吉田秀雄の母親と吉田秀雄に溺愛されたらしい。そして本日の会話で、衝撃の事実が飛び出した。その吉田秀雄の母親から、直筆の手紙が7通あるというのだ。日本の広告の近代化の父吉田秀雄関連の書籍は多数あるが、その母親にスポットを当てたものは皆無だ。また吉田秀雄の兄で渡邉政太郎の息子でTBS「サウンド・イン・“S”」のプロデューサーだった渡辺正文さんに関しても、その本当の姿を伝えたい話もさせて頂いた。渡辺正文さんに関しては、なかにし礼の『世界は俺が回してる』の主人公のモデルとして有名だが、白石さんいわく半分は脚色されているらしい。

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▲なかにし礼作の『世界は俺が回してる』の表紙。TBSのプロデューサーだった渡辺正文がモデル

結果、先日WOWOWで放映された清武氏の『石つぶて』のように、テレビではなかなか描けないところまで突っ込んだ企画を立てることになった。AmazonでもNetflixでもなんでも良いが、映像化できることを狙って仕込みたい。

PS.2018年6月4日、白石さんにご紹介頂いた青山学院大学名誉教授の小林保彦氏にご連絡差し上げた。小林氏は、2016年「全広連日本宣伝賞」の「吉田賞」を受賞されている。