2014年02月08日

20160302渋谷

そもそもAKB48は、なぜそのような名前になったのだろうか?

世間的にはAKBの意味は秋葉原の略と思いがちだ。しかし最初は、原宿、渋谷、青山でスタート拠点を探していた。

確かに若者向けの文化発信としては、原宿や渋谷は理想的な場所だ。原宿の竹下通りは、今なお土日は高校生でごった返している。タレントショップや占い、クレープ屋さんなど、若者に人気のお店が軒を連ねている。

渋谷も、相変わらず人気が高い。109やLOFT、東急ハンズなど、若者に人気のある拠点が多く、東急東横線や田園都市線、銀座線の乗り換え駅でもあり、一日の乗降客数も莫大だ。

そんな東京の若者文化の強力なエリアを想定していたが、なかなか良い物件がなかった。そんなある日、スタッフが萌え文化やメイドカフェが広がり始めていた秋葉原を、冷やかし半分で見に行った。そして、たまたま入ったメイドカフェのエレベーターが上まで行かず、止まった。上の階が空いていることを知ったスタッフは、そのことを秋元康氏に報告する。

その時、秋元康氏はドン・キホーテの創業者安田隆夫の知り合いだった。ドンキ・ホーテは、関東一円でディスカウントストアを展開する企業で、連結決算でその売上高は5683億にも達する(2013年6月30日現在)。

安田隆夫氏は、1949年岐阜県大垣市生まれ。1973年慶応義塾大学法学部を卒業後、不動産会社に就職するが、その会社が倒産してしまう。そして1978年、東京都杉並区に雑貨店「泥棒市場」を起業した。そして、府中にも展開する。

ドンキホーテ

当時の泥棒市場は、バッタ品といわれるものを扱っていた。

バッタ品とは正規の流通ルートで仕入れたものではない商品のことで、期限切れのものや外観が劣化したもの、企業倒産による倒産品などのことである。

しかも当時の府中店は、サーカスのようなテントが張ってあり、その中に天井まで商品が積み上げられていた。棚はなく、ダンボールがくり抜かれ、在庫管理は皆無の状態だったという。

その経営哲学が、面白い。夜中に届いたバッタ品のダンボールを解いていると、偶然通りがかった人がブランド品やコスメを買っていったのだ。この時、安田氏は“人は、衝動買いをする”ことを学んだ。そして、店舗で意図的にジャングルのような圧縮陳列を実施することで、一旦店舗に入り込んだ顧客の物欲を次から次への刺激し、必要以上に買わせる仕組みを作り上げることに成功する。

そんな安田氏のもとを、秋元氏は訪れる。