2015年03月26日

20160228ケネディTV討論

 

知的でハンサムで、育ちも良い。誰もが羨む要素を全て兼ね備えたアメリカ大統領のトップは、ケネディだろう。

大富豪の父親を持ち、ハーバード大学を経て、海軍へ。日本海軍駆逐艦に自分が乗る魚雷艇が撃沈されたが、奇跡の生還を果たし、下院議員から上院議員へ。そしてフランス系アメリカ人の名門の娘、ジャクリーンと結婚。ニクソンとのディベート対決、大統領就任、ベルリン危機、キューバ危機、そしてダラスでの暗殺事件とその人生は下手なドラマよりエキサイティングだ。

ちなみに父親のジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニア(1888~1969)は、ボストンでアイルランド系政治家の子供として生まれた。ハーバード大学卒業後、父親のコネで銀行検査官の職に就く。この時に銀行及び企業の内部情報ルートを作り、これが後にウォール街で空売りで大儲けする原型となった。また禁酒法の影でマフィアと組んで、酒の密輸でも大儲けしている。この時のマフィア人脈が、ケネディの大統領選の集票と暗殺双方に暗い影を落としていくことになる。

 

ジョセフ・P・ケネディ

 

ケネディは、プレゼンテーションの名手でもあった。

誰もが知っているケネディの有名な演説は、これだろう。

「祖国が、あなたに何をしてくれるかではなく、あなたが、祖国のために何ができるかを考えて欲しいのです」
(ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country)

企画書の決めのフレーズにも使える詩的な美しさがある。

そんなケネディのプレゼンテーションの大きな一歩は、ニクソンとの大統領選ディベートだった。

言葉が持つパワーを実感させられる一大イベントであるアメリカ大統領選挙。その中でも特に大きなハイライトシーンが、候補者同士が直接対決する大統領選ディベートだ。その対決に勝利した者が、アメリカの頂点に登り詰める。

 

touronnkai

 

計4回行われたディベートだが、初回には何と7000万人のアメリカ人がテレビに釘付けになったと言われている。この頃のアメリカは、大多数の家庭に白黒テレビが普及したタイミングでもあった。

このディベートを通じて大統領選に大きな影響を及ぼしたのは、ビジュアルとコミュニケーションスタイルのインパクトだった。テレビというメディアは、視覚に訴える効果が非常に大きい。

実はこのテレビ討論会前に実施された世論調査では、ニクソンの方が優勢だった。しかも双方の討論内容では、ニクソンの方が優っていたいたという意見が多かった。しかし、ケネディはカメラ映りを良くするための万全の準備で臨んだ。具体的には白黒テレビで力強く見える濃い色のスーツを着用し、俳優のピーター・ローフォードのアドバイスを受けて、メーキャップも完璧にした。

一方ニクソンは、直前の病気のため顔色が冴えなかった。またメーキャップの重要性を認識せず、その申し出を断っている。またディベート中、照明の暑さで汗をぬぐうシーンが議論で窮地に追い込まれているとのイメージを持たれたことも不利になった原因の一つとされている。

若くてハンサムなケネディと強面のニクソンのビジュアル勝負では、ケネデイに軍配が上がるのは必然だった。ニクソンは、議論に勝って、勝負に負けた。

ケネディの強みは、ビジュアルだけではない。相手の挑発には乗らず、丁寧に話を聞き、一つ一つ確実に答える。そしてテレビを見てる視聴者に向かって、「問題は、○○○○なのです」と静かに語りかけた。国民一人一人の問題意識に訴えたケネディのコミュニケーションスタイルは、大きな共感を得た。

対決ではなく、問題提起と解決策の提示こそが、建設的な議論だ。そこを静かに謙虚に突いたのが、ケネディだった。

 

またケネディの大統領就任演説は、以下のようなメッセージで始まる。

「ジョンソン副大統領、下院議長、最高裁判所長官、アイゼンハワー大統領、ニクソン副大統領、トルーマン大統領、聖職者諸賢、そして国民の皆さん。

今日のこの日を、政党の勝利ではなく、自由を讃える機会として祝福しましょう。これは終わりと始まりの象徴であり、再生と変革の兆しです。なぜなら、私が先ほど皆さんと全能の神の前で誓った言葉は、我々の父祖がおよそ175年前に定めた厳粛な誓いと同じものだからです」

個人的には、政治家の演説でありながら、詩のような高尚さを感じる。

学生時代に読んだ落合信彦の本の中に、「ケネディの偉大さは、若者に政治というものに対して希望を持たせたことだ」というような記述があったことを、今でも鮮明に覚えている。

またケネディ政権は、眩いばかりのエリート集団でもあった。ディヴィット・ハルバースタムの名著『ベスト&ブライテスト』(最良の、最も聡明な人々)には、そのリアルな模様が詳しく描かれている。ケンブリッジ派(バーバード大学やMITがある学園都市)と呼ばれるケネディ政権の側近スタッフは、以下のようなものであった。

 

○セオドア・ソレンセン…下院議員時代からの側近。ベスト&ブライテストにも頻繁に登場
○アーサー・シュレジンジャー…ハーバード大学歴史学教授
○マックジョージ・バンディ…ハーバード大学政治学教授
○ケネス・オドンネル…ハーバード大学出身のケネディの友人
○ローレンス・オブライエン…ハーバード大学出身で、ケネディが上院議員時代の秘書官
○ピエール・サリンジャー…サンフランシスコ・クロニコル紙の記者、上院調査官を経て、選挙本部広報官

 

また閣僚及び準閣僚もスーパーエリートがずらっと並んでいる。

○国務長官…ディーン・ラスク(ロックフェラー財団理事)
→ローズ奨学生としてオックスフォード大学へ留学し、カリフォルニア大学バークレー校で法律を研究。
○国防長官…ロバート・マクナマラ(フォード自動車社長、ハーバード大学出身)
→後年、「ベトナム戦争は北ベトナムによる南ベトナムへの侵略戦争ではなく、南ベトナム民衆による反乱・内戦であり、北ベトナム軍とその南の同盟者開放戦線による人民戦線だった」と語っている
○財務長官…ダグラス・ディロン(前国務次官、ハーバード大学出身)
○商務長官…ルーサー・ホッジス(ノース・カロライナ州知事)
○保険教育厚生長官…エイブラハム・リビコフ(コネチカット州知事)
○郵便長官…エドワード・デイ(プルデンシャル保険会社社長)
○司法長官…ロバート・ケネディ(大統領実弟、ハーバード大学出身)
○労働長官…アーサー・ゴールドバーグ(労働運動指導者)
○農務長官…オーヴィル・フリーマン(民主党上院議員)
○内政長官…スチュアート・ユードル(アリゾナ州選出下院議員)
○国連大使…アドレイ・スチーブンソン(民主党上院議員)
○予算局長官…ディビット・ベル(トルーマン政権時の補佐官、ハーバード大学教授)
○経済諮問委員会議長…ウォルター・ヘラー(ミネソタ大学教授)
○中央情報局長官…アレン・ダレス(留任)
○連邦捜査局長官…エドガー・フーバー(留任)

数多くの人々を魅了したジョン・F・ケネディ。それほど、多くの人々の中ではまだケネディは生き続けている。