2013年10月11日

20160223トキワ荘

週刊新潮9月26日号に、トキワ荘についての思い出を語る藤子不二雄氏の記事が掲載されていた。御存知の通り、トキワ荘は戦後の有名な漫画家を多数輩出したアパートの名前である。

なぜ椎名町のトキワ荘から、続々と偉大な漫画家が生まれ育っていったのか?藤子不二雄氏の言葉は、貴重な証言でもある。

 

僕と藤本弘氏(藤子・F・不二雄)が富山から上京したのは昭和29年6月でした。

両国の僕の親戚の家に下宿したのですが、部屋の広さが2畳しかない。仕事机に並んで座ると、背中が壁

にくっつくのです。夜は机を廊下に出して布団を敷くのですが、本当に狭かった。

だから、その年の秋、トキワ荘(豊島区椎名町)の4畳半の部屋に引っ越したときは、なんて広いんだろうと感激しましたね。もとは手塚治虫先生が暮らしていた部屋で、先生が引っ越すことになったので、 「後に入らないか」 と、声をかけて下さった。

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ところが家賃が3000円で敷金が3万円。そんなお金はなかったのですが、「敷金の心配だったら、僕がそのまま残していくから」と、おっしゃって下さり、移れたんです。後から頑張ってお返ししましたが、本当にありがたかったですね。

手塚先生は使っていた机も置いていかれて、そこで向かい合って漫画を描くようになりました。

下の写真がその様子ですが、三脚にカメラを据えてセルフタイマーで撮ったものです。身の回りのモノや

人を写真で記録するのが好きで、当時は何の気なしに撮影していたのが、「まんが道」を描くときに、ものすごく役にたちましたね。

トキワ荘に入ったとき、漫画家は向かいの部屋の寺田ヒロオさんだけでした。その後、部屋が空くたびに漫画家志望の若者を入れていったんです。僕たち3人が、作品と人柄を“審査”してね。そうやって入居したのが、石森章太郎氏、赤塚不二夫氏、後にアニメ作家になる鈴木伸一氏といった人たちでした。

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寺田さんは兄貴みたいな存在で、「寺さん」と慕われていました。家賃が払えそうもないと察すると、先に貸してくれたり。その寺さんを“総裁”に「新漫画党」を結成したんですが、何をするかというと、毎日のように集まっては宴会です。しかも、話すのは映画のこと。

漫画党と言いながら、漫画の話はしないものだから、東京生まれでトキワ荘に通ってきていた、つのだじろう氏が怒って、詰問状を送ってきたことがありました。藤本氏が、“漫画以外のことを話すのが勉強になるのだ”と、丁寧に返事を書いて収まりましたが。

同じ道を進む仲間がそぱにいることは、すごく励みになりました。寝ようと思ってトイレに行くと、他の部屋は灯りがついているから、またやる気になったり。他の人が先に売れても嫉妬を感じるどころか、こっちも頑張ろうと思ったり。本当の同志の集まりでした。トキワ荘に入っていなかったら、「藤子不二雄」は存在しなかったかもしれません。