2013年09月21日

20160223ヘフナー

果たして、月刊プレイボーイという雑誌は、どんな人間が立ち上げたのだろうか。

そして、どのような経緯を経てメジャーになっていったのか。

プレイボーイを立ち上げたのは、ヒュー・ヘフナーという人物だ。2013年1月2日に、ドタキャンした元婚約者と大晦日婚したニュースが報じられた86歳でもお盛んなじいさんだ。

ヒュー・ヘフナーはイギリスとドイツ、スウェーデンの血を引いており、シカゴで生まれた。両親は教師だった。高校卒業後、徴兵でアメリカ陸軍に入隊、第二次世界大戦で軍役についている。

その後イリノイ大学で心理学を学び、ノースウェスタン大学でも学んだ。

大学卒業後、ヒュー・ヘフナーは『エスクァイア』でライターとして働いた。エスクァイアとは、1933年にシカゴで創刊された世界初の男性誌である。アーネスト・ヘミングウェイF・スコット・フィッツジェラルドが寄稿したことで話題を集めた名門誌だ。

アメリカだけでなく、英国、オランダ、スペイン、チェコ、ギリシャ、ルーマニア、ウクライナ、中国、トルコ、メキシコ、シンガポールなどで発行されている。

エスクァイアを辞めた理由が、面白い。コピーライターの賃金を上げて欲しいと訴えたところ、断れたとのこと。そこで1953年、母親や知り合いを含む45人の投資家から8,000ドルを集め、『PLAYBOY』を創刊した。

ヒュー・ヘフナーの凄いところは、創刊号の中綴じのグラビア写真にマリリン・モンローを起用したことだ。これが大きな話題となり、創刊号は数週間で売り切れた。

その編集は、“隣のお姉さん”をコンセプトにしたヌード写真(最近ではドイツ代表の女子サッカー選手がヌードになった)で話題を喚起しながら、硬派な記事も展開することで多くの読者を獲得していく。

特にインタビュー記事のラインナップは、豪華だった。ビートルズ、スタンリー・キューブリックフィデル・カストロマイルス・デイビスなど、その時代を牽引している人物のオンパレードだ。

ヒュー・ヘフナーはPLAYBOYを単なる雑誌に終わらさず、プレイボーイ・クラブも経営し、会員制クラブとして世界各国の都市で展開した。

PLAYBOYという強力なブランドを作り上げ、いろんな商品開発もしていく。ヒュー・ヘフナーが築いたメディア帝国は、研究に値するものだと感じる。