2013年09月13日

20160222筏作り

リクルートでどんな学生が採用されていたのか、またどんな内定拘束旅行が行われていたのか、当時の印象的なエピソードを記したい。

入社した1991年当時、世間はバブルの余韻が続き、勢いがあった。アルビン・トフラーの『第三の波』が売れ、三菱地所がアメリカの象徴ロックフェラーセンターを2.200億で買収した時代だ。

リクルートの初任給は214.000円で、これはトップクラスだった。各企業は優秀な学生を囲い込むため、内定拘束旅行なるものを実施していた。今から考えると、信じられない時代だ(笑)。

内定拘束旅行は、朝9時に浜松町に集合し、静岡の御前崎に向かった。ダイビングスポットとして有名なこの地で、新人の男40名近くが2泊3日滞在した。

初日、社員の方が全員を海岸に連れて行った。そこには、縄を円形で囲った中に、発泡スチール、ガムテープ、角材などが無造作に置かれていた。

そこで、7チームに分けられた。我々のチームは、東大名大早稲田立教南山の学生で構成されていた。岩波書店を併願していた東大生、トヨタに行けばいいのになぜかリクルートに来た名大生、博報堂も受かってなぜかリクルートに来た自分と、多種多彩な顔ぶれだった。

20130913代2

「今回は、ゲームをします。縄の中にある道具を使って、みなさんにイカダを作って頂きます。それに乗って、沖にあるあの赤いブイを回って、帰ってきて下さい。まずは、作戦タイムを15分設けます。その後、笛を吹いたら素材を取りに行って下さい。取りに行く人数は1人、取れる素材は1個とします。それでは、スタート!」

全員いっせいに、顔を付き合わせ、イカダの設計に入る。同時に、遠くにある部品エリアの必要なリストをチェックし、必要な部品の優先順位を紙に書いていく。

今では経営幹部用研修などで、こういったチームワークを学ぶプログラムはすっかりメジャーになったが、もちろん青二才の当時の我々にその意味は理解不可能だった。

我々はまず、浮力を最優先に考えた。男の5人が乗って浮く筏を作らなければならない。海で沈みたくはない。荒波の中筏を漕ぐ、ロンビンソン・クルーソーの気分だ。

私は、素早く設計図のラフを模造紙に書いた。正方形で四方に発泡スチールを配置する安定的な構造だ。その設計図の上に必要な素材と個数を、みんなと議論しながら書き込んでいく。

材料取り係を決め、素材が届く度に設計図に沿って作っていく。名大生がボーイスカウト出身で、縄の結びが抜群に上手かった。我々のチームは手際良く進行し、7チーム中最初に海に飛び出て行った。

「よっしゃ!1位はもらったぞ!」

ところが、ここで予想外の事態が勃発した。筏が前に進まないのだ。浮かせることに関心が集中し、水の抵抗を計算に入れていなかったのだ。ロビンソン・クルーソーならそれで良かったかも知れないが、これはタイムを競うベントだ。

そうこうしているうちに、2番手が海に突入した。このチームは、早慶レガッタのボートのように縦長に筏を設計し、焦る我々を横目に快速で抜いていった。

結果、我々は6位という屈辱的な順位で終わった。設計ミスが、敗因だった。ちなみに最下位のチームは、筏の材料が足らない状態で、体が半分以上海に沈んでいた(笑)。

まだ戦いは終わっていない。我々のチームは、次の戦いでのリベンジを誓い合った。